日々の瀬戸内国際芸術祭の様子や瀬戸内のいいひと、いいこと、いいものをお伝えしていきます。

こえびカフェ

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2009.01.31

脱皮する家、脱皮する人。

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日本大学芸術学部彫刻コース有志により作成された「脱皮する家」。
築150年になる家が、学生たちの手により彫刻刀で彫られてしまっ
たのです。

床も、
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壁も
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柱も
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天井にまで〜。
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家の中に入ると、150年の間、封じ込められていた様々なコトが
学生たちが彫ることで、目覚め解き放たれたように、何かひしひしと
伝わってくるものがありました。

存在感の凄さに身体中の毛細血管が全開します。

そして、ここにも面白いエピソードが、
学生たちが、この家に出入り始めたころ、当然、地域の人々は、変な
若者がやってきた。という感じで見ていたようです。それもそのはず、
学生たちも、地域の人にたいして特に気遣いは持っていなかったので
しょう。

けれども、これではいけないと感じた学生たちが変わりはじめました。

まず、立ちタバコはやめました。
地域の人とすれ違う時、携帯電話をかけていたら即座にやめて、きち
んと挨拶をするようにしました。

などなど、学生たちが作品を作らせて下さる地域の方たちを尊敬して、
きちんと会話を始めたのです。そうなるともちろん地域の方も変わっ
てきます。

家は学生たちの手によって脱皮しましたが、学生たちは地域の人たち
によって脱皮したのです。

瀬戸内にも素敵な学生たちが、やってきてくれたら嬉しいことです。

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 日本大学芸術学部彫刻コース有志/作


Posted by 明かり

2009.01.31

乗り気で無い人も、いつのまにか参加者に。

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2003年大地の芸術祭で、松代町の全住民が参加して作られた
「まつだい住民博物館」の通路に並ぶ約1,500本のカラーバー。

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松代町の各家庭がそれぞれ自分の家の色は何色だろうと考えて
選んだもので、それぞれには屋号が書かれています。

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きっと、それまで自分の家の色について考えたことなんて無かったと
思うのです。色を決めるためには、家のことや家族のことを改めて見
つめ直すことにもなったことでしょう。それだけでも面白いのですが、
もう一つ印象深く思ったのが、色のついてない無色のバー。実は、
この企画にあまり乗り気でなかった方たちもいらっしゃったようで、
色が決められないままになりました。そのことに目をそらさず、しっ
かりとその方の気持ちを受け止めて作品に組み込んでしまう。という
その心にすっかり惚れちゃいました。しかもこの無色のバーがとって
もアクセントになっているのです。作品を前にした時、この無色のバ
ーがなんとも愛おしくて、触らずにはいられませんでした。

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ジョセップ・マリア・マルティン作

Posted by 明かり

2009.01.20

サイトスペシフィック?

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瀬戸内国際芸術際では、サイトスペシフィックな作品が予定

されています。


ところで、サイトスペシフィックって何?

サイトスペシフィック  site specific 

EXCEEDによると

・特定の場所のために作られた、特定地域向けの、サイト特有の、

・部位得意的な


現代美術用語集によると

美術作品が"特定の場所に帰属する性質を示す用語"。といって、美

術作品にとって"特権的な場所"であるはずの美術館の機能を補完す

るのではなく、逆に批判するために用いられることが多い。展示空

間自体をひとつの作品に見たてる「インスタレーション」や、「ミ

ニマリズム」の純粋形式に対する反発として登場した「プロセスア

ート」、公共空間における美術作品の意味を問う「パブリック・ア

ート」という新しい表現形態の本質とは不可分の関係にあり、1950

年代末から60年代初頭にかけて台頭したこれらの形態は、作品の

「場所」や「構造」といった問題を問いかけることとなった。


と、言われてもよくわかりません。


北川フラムさん著「希望の美術・恊働の夢」からサイトスペシフィ

ックに書かれた文を紹介します。


アートには、場を発見する力がある。ここから出発した「大地の芸

術祭」の作品群は、「サイトスペシフィック」であることを求めら

れた。そして実際、第1回展において来訪者の関心を惹きつけたの

は、アートによる「地域」の再発見であった。

そこにできた作品は、場と感応して人を誘わずにいられない。営々

と続いてきた里山の景観、暮らし、あるいはその痕跡が、作品群に

よって多様に提示され、その集積はやがて、茫漠と認識していた

「地域」に奥行きを与える成果を見せることとなった。

そして第2回展では、「芸術作品のグローバリゼイションへの疑問

をはっきりと提出した。つまり、場所を問わず世界中に通用する作

品、「上から降ってくるような作品」ではなくて、「特定の地面か

ら沸き出す作品ということを示した」のである。

地元の人たちは、自分たちの土地がもつ力をきちんと評価できにく

い。アートを通し、この地域が外の人たちに評価されることによっ

て、土地、地域への誇りを取り戻す一歩となった。

                「希望の美術・恊働の夢」より



私たちが住んでいる場所の魅力を改めて気づかせてくれる という

ことでもあるのでしょうか?

今、私が日々の暮らしをおくるこの場所は外の人にいわれなくても

十分魅力的と思っていますが、外の視点が入ると、これまで気づく

事がなかった魅力を教えてくれるのかもしれません。また、漠然と

瀬戸内の魅力を感じつつも、それを具体的に示してくれることで、

新しい発見があったり、心の中で感じていたことを世界中の人に伝

えることができるのかもしれません。

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Posted by 管理者

2009.01.15

不思議な名前 北川フラム

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北川フラムさんと聞いて、「本名ですか?」と
聞きたくなる人も多いことでしょう。

本名なのです。


以下、「希望の美術・恊働の夢」真野響子さん文章より

誰でも、この不思議な名前の由来を聞かないではいられない。
実は、お父さまで良寛研究家の北川省一さんがアムゼンが南極
探検の時に使った船「フラム号」に因んでつけた名前なのであ
る。ノルウェー語で「前進」という意味であるとフラムさんは
教えて下さったが、お姉様の後に男の子を授かった父君の思い
がうかがえる。

アムゼンは、北極探検を決意した時、グリーンランド横断に成
功した先輩のナンセンに、その時、フラム号を譲ってくれない
かと頼み込む。そして船の修理中にアメリカ人のベアリーが北
極点に到達してしまったことを知り未踏の地であった南極点を
目指すこととする。すでに同地点に向けて出航していたイギリ
ス人のスコットに遅れること2ヶ月。1910年8月9日にオ
スロを出航し、翌年の1911年12月14日、南極点に国旗
をたてる。スコットの方は一ヶ月遅れ、12年の1月にやっと
辿りつく

〜中略〜

古いものに対する新しい価値を見いだすのも、時代の新しいニ
ーズを先読みするのも得意である。それはフラム号としてのフ
ラムさんの探究心に因るものではないかと思う。その上、四面
楚歌になって氷に囲まれても、沈まない、そんな芸もできるの
だから全く父君の命名には感服してしまう。

「フラム号博物館」には行ったの?
「いや、僕は建物の前にずっと立ってたんですよ」
「どうゆうこと?」
「実はオスロで打ち合わせがあって、夜だったものですから中に入れなくて」

まず、巨大なフラム号を置いて、その上から館を建てたという博物館。
オスロまで行きながら、その船の姿を見ることなく、じっと存在の重
みだけを感じながら、闇に佇んでいる少年のようなフラムさんを想像
して、私は何だか「フラムさんらしいなぁ」と思ったのでした。




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2009.01.07

2010年、私たちは何を降らせましょう?

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大地の芸術祭2003年、妻有では10万本のチューリップの
花びらが空から舞った。

花人 中川幸夫が「球根のために刈り取られるチューリップの
花びらを空から降らせたい」とフラムさんに話を持ちかけたこ
とから動き出した企画。

チューリップの花びらを準備するために地元とこへび隊100
人くらいで5日間必要。様々な困難を乗り越えながら準備は進
んでいったが、本番の4日前、真っ青になる報告が入った。

〜この模様は是非、是非フラムさんの本を読んでください。
 感動的な幻のような場面がひろがります。〜


最後にくくったフラムさんの言葉を紹介します。

こうして、一瞬のイベントは終わったが、こういうことを
私はやりうたかったのだといまになって思う。この実現の
ために加わった人々の、私も知らない場面でのそれぞれの
工夫と頑張りが「恊働」としてつながり、この幻のような
瞬間を産み出すことができたのだと思う。
この時に配られたチューリップの球根を持ち帰り、ベラン
ダの鉢に植えた人から、毎年春になると可憐な花が咲き、
3年たった今でもあの幻を蘇らせてくれていると聞かされた。

             「希望の美術・恊働の夢より」


2010年、私たちは瀬戸内海に何を降らせましょう。

                    by 明かり














Posted by 管理者

2009.01.01

初めて出会った「大地の芸術祭」

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フラムさんいにお会いする前、必死で読んだ
「希望の美術・恊働の夢 北川フラムの40年」

厚さ2.5cm、写真も多いが文字も多いその本に、
泣かされてしまった。

読んでいくうちに、新潟の越後妻有
で開催された「大地の芸術祭」にどんどん引き込ま
れてしまう。開催までの緊張感や苦労を、同じよう
に感じ、成功した時の喜びを一緒に味わえたような
気分になってしまう。

最初に、私が大地の芸術祭に、はまったお話、

今では、地域に受け入れられた「大地の芸術祭」で
あるが最初は、見向きもされなかった。関係する6
市長村の議員多くは反対であった。それでもいいや、
やれるだろうという確信みたいなものはあったのか?
という質問に

フラムさん
「何も無いですね。でも転機というなら、いちばんわかりやすい
話がありますね。村木薫の土壁プロジェクトをやったおじいちゃん、
おばあちゃんは、見に訪ねてくる人全員にお茶とお菓子を出した。
サインしていった人が1万人以上いるわけだから、実際にはもう
ちょっと増えますから1万5千人くらい。その人たち全員が、
おそらくお茶やお菓子を出してもらったんですよ。その家の特に
おじいちゃんは「こんなに嬉しかったことはなかった」といって
その年の秋、つまり2000年の大地の芸術祭が終わってまもなく
亡くなってしまったんです。」人生の最晩年になってね、お茶を
出していろんな人たちとおしゃべりができ、その人たちもまた、
「いいお家ですね」とかいってくれるわけじゃないですか。おじい
ちゃんにとって、そりゃあ、楽しいひとときだったに違いない、と
僕は思いますね。それからでしたよね、地元の人たちが、だんだん
動いていったのは」

私も、一生の終わりをおじいちゃんのように終えることが出来たら
幸せです。

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大地の芸術祭以外のことも盛りだくさんですし、読んだ仲間内全員
この本は私のバイブルだわ!と思っています。

是非、一度読んでみてください。
私も再度、読み直します。



Posted by 管理者