日々の瀬戸内国際芸術祭の様子や瀬戸内のいいひと、いいこと、いいものをお伝えしていきます。

こえびカフェ

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2009.01.07

2010年、私たちは何を降らせましょう?

090107花狂い.jpg

大地の芸術祭2003年、妻有では10万本のチューリップの
花びらが空から舞った。

花人 中川幸夫が「球根のために刈り取られるチューリップの
花びらを空から降らせたい」とフラムさんに話を持ちかけたこ
とから動き出した企画。

チューリップの花びらを準備するために地元とこへび隊100
人くらいで5日間必要。様々な困難を乗り越えながら準備は進
んでいったが、本番の4日前、真っ青になる報告が入った。

〜この模様は是非、是非フラムさんの本を読んでください。
 感動的な幻のような場面がひろがります。〜


最後にくくったフラムさんの言葉を紹介します。

こうして、一瞬のイベントは終わったが、こういうことを
私はやりうたかったのだといまになって思う。この実現の
ために加わった人々の、私も知らない場面でのそれぞれの
工夫と頑張りが「恊働」としてつながり、この幻のような
瞬間を産み出すことができたのだと思う。
この時に配られたチューリップの球根を持ち帰り、ベラン
ダの鉢に植えた人から、毎年春になると可憐な花が咲き、
3年たった今でもあの幻を蘇らせてくれていると聞かされた。

             「希望の美術・恊働の夢より」


2010年、私たちは瀬戸内海に何を降らせましょう。

                    by 明かり














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2009.01.01

初めて出会った「大地の芸術祭」

フラム本090101.jpg

フラムさんいにお会いする前、必死で読んだ
「希望の美術・恊働の夢 北川フラムの40年」

厚さ2.5cm、写真も多いが文字も多いその本に、
泣かされてしまった。

読んでいくうちに、新潟の越後妻有
で開催された「大地の芸術祭」にどんどん引き込ま
れてしまう。開催までの緊張感や苦労を、同じよう
に感じ、成功した時の喜びを一緒に味わえたような
気分になってしまう。

最初に、私が大地の芸術祭に、はまったお話、

今では、地域に受け入れられた「大地の芸術祭」で
あるが最初は、見向きもされなかった。関係する6
市長村の議員多くは反対であった。それでもいいや、
やれるだろうという確信みたいなものはあったのか?
という質問に

フラムさん
「何も無いですね。でも転機というなら、いちばんわかりやすい
話がありますね。村木薫の土壁プロジェクトをやったおじいちゃん、
おばあちゃんは、見に訪ねてくる人全員にお茶とお菓子を出した。
サインしていった人が1万人以上いるわけだから、実際にはもう
ちょっと増えますから1万5千人くらい。その人たち全員が、
おそらくお茶やお菓子を出してもらったんですよ。その家の特に
おじいちゃんは「こんなに嬉しかったことはなかった」といって
その年の秋、つまり2000年の大地の芸術祭が終わってまもなく
亡くなってしまったんです。」人生の最晩年になってね、お茶を
出していろんな人たちとおしゃべりができ、その人たちもまた、
「いいお家ですね」とかいってくれるわけじゃないですか。おじい
ちゃんにとって、そりゃあ、楽しいひとときだったに違いない、と
僕は思いますね。それからでしたよね、地元の人たちが、だんだん
動いていったのは」

私も、一生の終わりをおじいちゃんのように終えることが出来たら
幸せです。

フラム本2 090101.jpg

大地の芸術祭以外のことも盛りだくさんですし、読んだ仲間内全員
この本は私のバイブルだわ!と思っています。

是非、一度読んでみてください。
私も再度、読み直します。



Posted by 管理者

2008.12.22

想い・で・・UMIE 猪熊さんを語る集い 

香川のアートシーンの立役者と言えば、
そう、猪熊弦一郎先生です。ご自身の作品制作のみならず、
香川県庁舎の丹下さん、イサムノグチさん、流政之さん、ジョージナカジマさん、
川島猛さん、讃岐民具連の皆様、建築からアート、クラフトまで
今の香川の文化資産をつくられた潮流のキーマン。
詳しくは、丸亀市のMIMOCAを、お訪ねてください。素晴らしい美術館です。
その、いのくま(ひらがなが似合います)さんのお話を聞きましょう会を、
以前、カフェで開きました。
先生のことを語る平野湟太郎さん。

猪熊さんワークショップ.jpg

彼は、先生の精神を受け継いだクリエーターです。
設計家の谷口さんと組んで、美術館のサインデザインなどを
手がけ、更に、ニューヨーク近代美術館の谷口さんのプレゼンテーションの
表現もお手伝いされました。
そんな彼が語る、いのくまさんのお話は、心に染み入る内容。
秘蔵の先生のビデオも見せていただきました。
猪熊さん.jpg
会場では思い出を噛み締めて思わず涙ぐむ方も、
猪熊さん写真3.jpg

猪熊さん2.jpg
いのくまさんが、亡くなられて一週間後にお庭の大きな
オリーブの樹が枯れてしまいました。
でも、私たちは、先生の優しさと想いをしっかりと
うけとめていますから。

丸亀の美術館館長室には、いのくまさんの字で、
「美術館は、こころの病院」と、書かれています。

また、こんな、カフェの集いをしましょうね。みい


Posted by 管理者

2008.12.21

イサムさんのマンナリ石

イサム墓3.jpg

万成石(マンナリ)、 岡山県岡山市万成町産,、桃色系花崗岩。
この丘の上から、屋島と瀬戸内海、五剣山に包まれて、
何を想われていたでしょう。

いつも、
歳末になった高松三越前郵便局あたりに差し掛かると
20年前の88年暮れ、イサム・ノグチさんが
亡くなられたと聞いた時、
心の穴がポッカリとできたことを、思い出します。

あれから、和泉さんを中心に日本財団のご苦労や
行政・NPOのパックアップで牟礼の庭園美術館が開園し、
ご存命だったころの空気を大切に伝えていただけることに
敬意を表します。

私には、こんな振り返りの思いがあります。
現在の中央公園について、イサムさんが設計の候補にあがっていたこと。
また、現在の市美術館の計画もイサムさんに相談がありながら、
どちらも実現しなかったこと。
美術館にいたっては、夜、巻尺を持ったイサムさんの姿を見た方もいらして、
もし、これが実現できていれば、高松の宝物になっていたのにと、
悔しいばかりです。

豊島の問題にしても、同様。同じ時代をこの地でいながら、
持ち込まれた後の課題を知らないことで
傍観者になっていたことへの責任を痛感しています。

今、瀬戸内は本来の輝きを内外に放とうと動き始めました。
アートという、ある種、生活の役に立ちそうにないモノが、
我々の内奥する幸福感という
琴線を共鳴させることに気づき始めました。
幸せって何?そんなに素朴、でも、人生の最も大切な感情を
発見させてくれるモノや出来事にふっと、手を携えてみれば、
誰しもが赤ちゃんを見るような心になることができるのです。

白砂青松が美しい瀬戸内の里海は、
私達を安らかな幸せな世界に導いてくれます。
さあ、一緒に、島と海、そこで多くの人々が織り成した伝統と文化を、
現代アートと一緒に楽しんでみましょう。

私達は、ここで関係する方々が、今日よりも一歩幸せになれるように、
いろいろな想いを重ねたいと思います。

Posted by 管理者

2008.12.10

Lisa

今から、17年近く前、高松の奥座敷塩江町に、
ニューヨークから若いアート学生さん達が、十数人やって来ました。

当地とN.Y.にアトリエを持つ現代美術家の川島猛先生の猛ハウスと
町の施設が拠点になって、一ヶ月間のアートワークショップ
「日米ヤングアートフェスティバル」が開催されたのです。

私達は、高松側のボランティアでいろいろな側面支援をしましたが中でも、
一番の思い出はN.Y.からやってくるLisaという中国系米国人の受け入れでした。

マチスの展覧会を見に行ったN.Y.、
川島さんのアトリエでパーティを開いていただきました。
席上、N.Y.組み引率役の比嘉教授から、このLisaのことをお願いされたのです。

Lisaは、聾唖者でした。
しかし、前向きな姿勢で、彼は、是非とも彼女を連れていきたいが、
日本へのいやな想いが、おじいさんからの歴史で蓄積されていること。
資金が無いこと。など。

私達は、早速、Lisaを呼ぶ会をつくって活動を始めました。
中央公園でのバザーや、募金活動。
日米の手話の架け橋づくり。などなど。町の青年部や、仲間が大勢協力してくれました。
そして、やってきた彼女は、とても、明るくて町の人気者になってくれ、
別れにはホームステイ先のお母さんと抱き合って泣いていました。

言葉や文化を超えて、人は交流することで、想いを重ねられます。
その後、交流した高松の聾学校の生徒さんたちが、N.Y.を訪問したり、
再び、Lisaがやってくるなど、楽しい思い出となりました。

こんどは、どんな人々が、瀬戸内海の島にやってくるのでしょう。
国内外から、Lisaのような天使が集まれば、回りは、幸せになること、間違いありません。

Posted by 管理者