日々の瀬戸内国際芸術祭の様子や瀬戸内のいいひと、いいこと、いいものをお伝えしていきます。

瀬戸内宝探し:豊島

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2009.07.18

みよしみあわせ

火曜日の朝には、豊島の海苔の漁師の大西さん(Oさん)に船を出してもらって、小豊島の船大工さんを尋ねました。(あとでわかったのですが、Oさんの奥さんは小豊島のご出身だったので、大工さんと心安かったから紹介を引き受けてくれたんだそうです)

豊島の人の物事の始め方には、あらかじめ電話でアポなどは取らないで、まずはいきなり訪ねていって、お家に目当ての人がいたらそこから話を始める・・という方法が多いです(私の知る限りでは)。こうすることによって無駄足も多いけどお話を始めたり、約束したりするには、もっとも確実な方法で、相手の都合も顔色や空気で感じることができる良い方法なのかもしれないと思いました。(よく考えたら、アポを取るということは、その時間は私のために空けておいてね。と相手を拘束することでもあるのですね)

よって、マロンの「船大工さん初訪問&インタビュー」についても、その方式に則って行われました。ようするにアポなし。。。9時40分 オープンカー(軽トラ)で唐櫃漁港到着。

待機していてくれたOさんの漁船に乗り込んで小豊島へ向けて出港します。


この日はめちゃくちゃ暑かったのですが、快い速度で走る漁船の上は涼しくて別世界です。


豊島から小豊島の海峡には、船の免許教室で習った「洗岩」とか「暗岩」がちらほら。。
当然のことながらOさんの頭には海図がしっかり入っているので、難なく通り抜けます。


10分も走らないうちに小豊島に到着しました。豊島もマロンにとってはとても非日常なところですが、小豊島はもう一段深い異国でした。
静かな静かな漁港から見上げると緑の濃い山。
この島は人が10数名しか住んでいないのですが、山の向こうの牧場には肉牛が450頭いるそうです。島に上がってすぐのところに、「畜魂碑」と書かれた石がひっそりとあります。

小豊島の船大工さんの竹内さんのお家は漁港に面したところにありました。船伝いに桟橋にあがって、「大工さんおるかなあ」と話しながら歩いていたら、偶然にも向こうから竹内さんが歩いてこられました。Oさんが必要にして最小限の言葉でマロンを紹介してくれます。

竹内さんは、突然の訪問なのに、嫌な顔ひとつせず、涼しい木陰に縁台を出してきてくれて「ここに座りんせい」と、台を進めてくれました。

10代の頃からお父さんの後を次いで和船を作っていて、現在85歳。
少しお耳は遠いのですが、しっかりと船のお話をしてくださいました。

新造の船を作る行程は、「四尋の伝馬船で7日」と決まっているそうです。(一尋は人間が両手をいっぱいに広げた長さ)

1日目は、かわらと呼ばれる船の底を作り
2日目〜5日目は外板を作り、つけ
6日目〜7日目にトダテ(魚を入れる船の中の池)をつける

材料は、べんこうと呼ばれる九州の桧が最も適しているのだそうです。豊島の桧は柔らかめで水が沁みやすいから向かないんだとか。

「なにか設計図のようなものはあるのですか?」と訪ねたら、奥から古い板に墨で、船を横から見た図を描いたものを持ってきてくれました。昭和37年 高島さんという方のために作った船で、材料は小豊島の松の木だったそうです。


教えてほしかったことのひとつに、閼伽(水)止めに、船板の隙間に差し込む材料は、楠の皮なのかどうかということでした。答えは、楠ではなく、桧の、それも外ではなく内側の柔らかい皮を紐状にしたものでした。
これも作業場の奥から持ってきて見せてくれました。(帰りには、一束を持たせてくださいました)


鐫を使って、このように閼伽を止めるんだそうです。


これは、竹内さんが20歳くらいの頃、大木を船用に製材するときに使っていた大鋸。


これは炭壷。


次に、竹内さんは船霊さんの話をしてくれました。「どんな船にも、船には神さんが乗っておるんじゃ。ふなだまさんというてな。」そして、作業場の奥からなんとその実物を持って来て見せてくれたのです。
こればかりは写真を撮ったらいけない気がして画像がありませんが、船霊さんはやはり桧で出来ていて、巨大な将棋の駒みたいな五角形をしています。よく見ると木のお腹のところに切れ目があって、相似形に小さい五角形の蓋がぴったりとはめられていました。
「このなかには、いろいろと入れるもんがあるんじゃ」
ひとつは、13円(貨幣価値の変化とともに円になったようですが)。理由はひと月1円で一年間守っていただくのですが、閏年があるので、13円入れるのだそうです。

そしてもうひとつ、「船霊さんのご神体はこれなんじゃ」と言って、竹内さんが見せてくれたものは、「えっ!!」と驚くようなものでした。
ご神体の意味は「いってんいちろく みよしみあわせ ともにしあわせ」 で、
「波や風が強い時は無理をするな。無理をしなければ家族やまわりがともにしあわせになるから。」ということだそうです。

こちらは、舵や櫂まで丁寧に作られた精霊船です。


もう一つ不思議でびっくりしたことは、ヨットの話など一度もしていないのに、さきほど見せてくれた「船霊さん」を私に差し出して、『これを持っていきんせ。あんたの船に乗せんせ』と、くださったことです。あまりのことに、言葉が見つからず、「ありがとうございます」しか言えなくなっている自分がいました。

竹内さんはお酒を飲まれないということ以外、お好みがわからないので、今回は気持ちばかりの笹団子を提げていったのですが、帰り際には真顔で「もう今度は何も持ってこんでええ。あんまり気を使うんやったら、もう来れんで!」と言われてしまいました。

どこの馬の骨かもわからないマロンを、いくら知っている人からの紹介とはいえ快く迎えてくださって、「そんなことまで教えてもらっていいのですか?」というほどいろんな話をしてくれた竹内さん。

何十年も和船を作り続けた人はこんな顔と目になるんだ」と感動せずにはいられないような綺麗な竹内さんを見ていたら、悲しい話などひとつもなさらなかったのに、時折目がうるうるしてくるのでした。

いつか、近いうちに、ここにみんなを連れて来て、和船の作り方を教えてもらったり、小さな灯籠船を作らせてもらいたい。できれば人が乗れて走れる船をつくりたい。そして、できる限りのことを後の人に伝達する手伝いがしたい。

これまでにこんな挨拶で人と別れたことはないのですが、「またこの夏のうちにもう一回来てもいいですか? それまでどうかお元気でいてくださいね」という言葉が口をついて出てしまいました。この訪問は、きっとずっと忘れることのできない心に残る光景になりました。

Oさん(←マロンが大ファンになってしまった漁師さんです)、本当に本当にありがとうございました(Oさんがこのブログを見ることは絶対にないと思われますが、お礼を言わせてください)。

Posted by marron

2009.07.16

おばあちゃんにやさしいお惣菜&カフェ

写真は五色台から望む光景です。一番遠くに見えるのが豊島。
豊島に新しいお店ができました。お総菜&カフェ「うらら」
一人暮らしのお年寄りが多い豊島で、無くてはならないお店になっているようです。詳しくは、こちらからどうぞ。神奈川から豊島に移り住んだご夫婦のスローな豊島での日々の生活を拝見できます。

開店は、(月)(火)(金)の10時から12時くらいまで。
アフタヌーンバーHITAKIとあわせて行きたいな。







Posted by 明かり

2009.06.07

人は人に魅せられて海を渡る。その②アフタヌーンバーHITAKI

午後ワインを飲む場所を探していて、思うような場所が無いので自分でつくってしまった女性、みどりさん。選んだ場所が豊島。もちろん、砂川さんに逢う機会を増やすため。

家浦港から歩いて2分ほどにあるアフタヌーンバーHITAKI。
HITAKIとは、ポリネシア語でカヌー製作を司る女神の名前らしい。豊島(てしま)の語源も、かつてポリネシアからこのあたりに人が移動してきたからかも、というのがみどりさんの説だ。

砂川さんが豊島について紹介する時、豊島の名前の由来については、みどりさんの説を紹介されていた。みどりさんにとって砂川さんはかけがいの無い人になっているように、砂川さんにとってもみどりさんの存在は大きくなっているようだ。

090607ak hitaki2.jpg


窓から港が見えるワインバーHITAKI。夕方の時間が最高とのこと。
081219家浦漁船夕景色.jpg

豊島で家を貸してくれる方を探している時、たまたま知り合ったブログ仲間が豊島の方で、口添えしてくれたそうだ。念ずればかなう。

風が通るこの場所の居心地の良いこと。ワインにあう料理も用意されている。もちろん材料は豊島でとれた魚に野菜。砂川さんの畑でとれた野菜も度々登場する。


アースディで、産廃現場を砂川さんに案内して頂いた後、もっとお話を伺いたいと、HITAKIにお越し頂いた。

090607ak sunagawa in hitaki.jpg

その中で出た質問。

Q   :「豊島の方が最後まで一つになれたのは?」
砂川さん:「かかわった全ての人が損をしたからや」

損をしても活動を続けて来られた心の奥には、もっともっと奥深いお話があるはず。それを少しでもお聞きするためには、豊島通いをやめるわけにはいきません。

みどりさんの心を掴んで離さない砂川さん、そして豊島の人たちにお会いしたい時は、まずは、家裏港にあるアフタヌーンバーHITAKIへどうぞ。
こちらからもご覧ください。

★アフタヌーンバーHITAKI

営業時間毎週火・木曜日 13:30~17:00
アクセス豊島家浦港を降りて徒歩約2分 (家浦漁協「船玉さん」の隣り)
メニューワイン(赤・白・スパークリング計8種類以上)/ハーブウォーター(レモングラス・カモミール・ジャスミンetc.)/島産お総菜/島産豆腐のカルパッチョ/コジマさんの奥さんの作った米粉パン/琢三チーズ/豊島か小豆島産オリーブ/抹茶
価格帯300円~1,000円/品
ブログ「マロンの冒険」
お問い合わせ090-4336-3104


Posted by 明かり

2009.06.07

人は人に魅せられて海を渡る。その①アースディかがわin豊島

6月7日、アースディかがわin豊島 が開催されました。アースディとは、だれもが自由にその人なりの方法で、地球の環境を守る意思表示をする国際連帯行動です。それを香川でしかも豊島で開催することになったのは、高松市街地に住む一人の女性が、豊島を守る為に戦った一人の男性に出会ってしまったから。

今年82歳になる元廃棄物対策豊島住民会議議長 砂川三男さん。

1975年の豊島産業廃棄物不法投棄事件勃発時より島民の先頭に立って長年行政の厚い壁と戦い抜き、最終合意に導いた長老の一人。現在も、一人でも多くの人に豊島のことを知ってもらおうと「枕から頭が離れている間はみんなの役に立ちたい」と産廃見学ツアーのガイドを献身的に引き受けて下さっています。

その女性は、13年ほど前に砂川さんに出会って、砂川さんに惚れ込んで、砂川さんに逢う機会を増やすため、船でわざわざ通わねばならない高松市街から豊島へ行く理由を考え、その中で実行した一つがアースディ。今年で11回目を迎えます。

先日、アースディの打ち合わせに参加させて頂いたが、様々な想いを持って集まってくる方たちの意見を聞き、まとめ、事を進めていくのは並大抵のことではありません。2時間程度の会議からでもその大変さがひしひしと伝わってきます。そんなことを11年間も続けてこられるとは...。


当日は、風が爽やかな良いお天気。「お天気でよかったですね〜」と話しかけると、そんなお気楽な気持ちではすまないほどの心配を毎年されている。

「雨でも開催はできるけれど、霧だけが心配。霧が出たら船は全て運休になってしまい、島へ渡ることができなくなるから毎年心配で夜も眠れないの。でも、今年は、昨夕船長さんからこれだけ風が吹いていたら明日霧がでることは無い、と聞いたので、ゆっくり眠れました。」と笑顔で話されました。彼女の想いが通じるのか、これまで中止になるようなお天気になったことは無いそうです。

どうして、そこまでして砂川さんたちに逢いにくるのか?豊島に通い続けるのかと、お聞きしたところ、聞かせてくれた言葉が、「(産廃のことを)よくぞ声をあげてくれた、よくぞ言うてくれました。それだけです」。

その一言をお聞きして浮かんだのが、産廃現場の前に広がる青い瀬戸内の海。
090607ak sanpai mae umi.jpg

もし、あの時、豊島に住む方たちが、不法放棄に対して、「仕方ないわ」と諦めて(当時のお話を聞くと諦めても仕方ないと思えるほどの状況でした)声をあげてくれなかったら、今でも産廃の海岸から黒い水が流れ続け、瀬戸内海はもしかしたら死の海になっていたかもしれません。そして、海を通じて、瀬戸内海から取り返しのつかな無い問題を世界中へ流すことになったかもしれないのです。

瀬戸内海は瀬戸内に住む人の心の拠り所とも言える場所。その場所が世界に悪い影響を及ぼす場所になるなんて、あってはいけないことです。

豊島に訪れた何人かの人から同じようなことを聞きました。「ここは、いろんなものが凝縮された場所だ。」
良いことも、悪いことも、豊島で起こっている様々なことは、豊島に住む方だけのことではなく、瀬戸内に住む人、そして世界中の人々にとっても関わることなのです。


砂川さんに出会い、魅せられて豊島に通い続けられるあなたに私は魅かれてます。

もう一人、砂川さんに惚れ込んで、砂川さんに逢いたいため、豊島通いを始めた女性を紹介します。(つづきます。

Posted by 明かり

2009.05.13

豊島の石堂の謎

島を旅すると、自分の住んでる環境と違う風習、文化に接して嬉しくなることがあります。外国まで行ってしまうとそれは当たり前なので驚きも無いのですが、沖縄では、亀甲墓や石敢當を見かけると、「旅してるなぁ、僕。」と言う感じに。

さすがに僕が住んでいる香川の瀬戸内海の島では驚くほどのことはあるまいと思っていたのですが、先日出かけた豊島で、いくつかびっくりすることがありました。僕はこの日で豊島は5回目ぐらいだったのですが、それまでは特に気にしていませんでしたので、僕の中のアンテナが磨かれはじめているんでしょうね。

ひとつは、お地蔵さんなどの石堂です。

豊島の路地を歩いていると、辻ごとに小さなお地蔵さんや観音さんがあるのですが、多くのところで、そのお地蔵さんたちが、石のお堂にすっぽり覆われているのです。

20090513b.jpg
(なにやら隠れるように中で佇んでいらっしゃいますね)

漁港の船だまりの近くには、大漁を祈ってか恵比寿さんがいらっしゃるのですが、この恵比寿さんたちも、独特な石のお堂の中にいらっしゃいます。

20090513a.jpg
(家浦の漁港の恵比寿さん)

上の写真では、恵比寿さんは真ん中の石堂の中にいらっしゃいます。豊島石が頭にのった、独特の風格のある石堂です。恵比寿さんの姿は、正面の小さな穴からのぞかないと拝めません。手前に石の台なんかがあって、ここの恵比寿さんは、お腹ぐらいまでしか見えませんでした。

次に甲生(こう)の港へ。

静かな船だまりの近く。ここにも恵比寿さんの石堂がありました。作りは家浦のものとまったく同じですね。

20090513d.jpg
(これまた立派な豊島石が頭に・・・)

蛸壺の花筒に目を奪われますが、パッと見ただけでは恵比寿さんはわかりません。やはり、正面の小さな窓からのぞきます。こっちは他にじゃまするようなものがなかったので、きちんと恵比寿さんの顔まで拝見できました。しかし、もうまさに「覗き込んでる」って感じでして、お参りしてる雰囲気ではありません・・・。お顔の写真は撮影しませんでした。

こんな感じで、そこかしこの石づくりの仏様や神様、お大師さんが、スッポリかぶせた石堂の中にいらっしゃいます。狭い島のことで大きなお堂を建てることをせず、特産の豊島石を使ってこういうお堂を作る風習になったのでしょうか?

それにしても、お顔が拝見できないまでの窓の穴の狭さとはいったい何を意味するのでしょうね。

何か情報のある方、ぜひとも教えてください。皆さんはどんな推理をしますか?気になった人は、ぜひ一度、豊島を訪れてみてください。


20090513c.jpg
(昼過ぎの漁港は人もいなくて静か)

Posted by kmorita

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